(故)清水幸彦理事長の挨拶
私は、昭和27年3月に北大医学部を卒業。母校で精神医学を修め、国立札幌病院を経て釧根地区での初の精神衛生鑑定医(現、精神保健指定医)として市立釧路総合病院に精神科を創設したのが昭和34年11月。このあと、昭和39年1月に当病院を開設し今日に至っております。
21世紀の表現の一つとして“脳と心の時代(日本学術会議)”が唱えられました。現代化の社会の中で、新しいタイプの心の病が生じ、また疾病構造の変化と人口動態の変遷の問題も生じて久しいです。
当法人は、親身になってお世話する理念のもとに、初診から社会復帰まで、外来や入院さらに援護寮やデイケアなど一貫して連続性のある奉仕を続け、関連する家族会や「さくら会(患者さんの集い)」なども連携し、明るくて拘束の少ない日常を目指しております。
(清水幸彦理事長は令和5年6月5日他界しました。謹んでご冥福をお祈り致します。)

(前)清水輝彦院長の挨拶
当院は昭和39年に開設した北海道釧路市の閑静ですが近くには住宅街が広がる緑あふれる場所にある精神科専門の病院です。自然に囲まれ四季折々の季節を実感しながらも徒歩圏内にはコンビニエンスストアやスーパーマーケット、大型書店などもある治療環境の中で地域精神科医療を展開しています。
”心の時代”といわれ、うつ病が”こころのカゼ”といわれたり、総合失調症が”軽症化している”といわれるなど、以前と比べると精神科の敷居は確かに低くなったと思います。しかし、それはクリニックや総合病院精神科の話であり、単科の精神病院は今でも”精神病院”と呼ばれる事が多く、隔離と拘束の象徴としての鉄格子をイメージされる方が多いのも現実です。精神疾患も以前と比べると多様化しており、それぞれに応じたきめ細やかな対応を求められる今日、職員研修ひとつとっても不利な状況におかれた北海道の一地方都市にあっても志しは高く、と職員一同この地ならではのチーム医療を実践しています。見えない偏見の壁を少しでも取り払うとともに心の健康を回復するために、そしてその人なりの社会復帰を果すべく日夜取り組んでいます。
社会保障や経済状況が大変厳しい中ですが、すべての患者さんが、あるいはそのご家族やかかわりのある方々が安心して生活できる環境を確保・維持していくために病院として何ができるのかをいつも考え、少しずつでも実現していきたいと思います。
理事長兼院長 清水惠子の挨拶
当院は前理事長である(故)清水幸彦が北大精神科からの派遣で市立釧路総合病院に精神科を創設したのをきっかけに釧路に移住、昭和39年1月に当病院を開設しました。
前理事長は地域に根ざした精神科医療を提供し続け、途中からは幸彦氏の長男で前院長である輝彦氏と共に、入院、外来診療と幅広く医療を提供していました。しかし、ご存知のように前代未聞のコロナ禍に全世界が巻き込まれ、更に釧路市内の医療機関の精神科外来が相次いで閉鎖するという事態が起こりました。そんな中、令和5年5月前院長が倒れ、翌月前理事長が逝去という事態になり釧路地域で精神科医療が受けられない危機的状況がとなってしまいました。そのため私は即座に新しい体制で病院の診療を守るために動き出しました。
今までの良いところはそのままに、新経営陣からアドバイスをいただきながら弱点を改善しております。その結果今まで以上の診療体制が整いました。さらに、病院として精神科の他に新たに麻酔科を標榜し、私の精神保健指定医と麻酔科標榜医というダブルライセンスを活かしmECTが常時可能になっています。これは釧路地域では唯一の施設になります。
今回、理事長兼院長に就任するにあたり、当院の理念を「地域に根ざした精神科医療を行います」と掲げました。以前であれば当然すぎて理念にはあたらないと言われる言葉です。しかし、コロナ禍を経験し、通常医療を常に行うことの困難さ、そして、地域で精神科医療が受けられない危機的状況を経験した後、この言葉がどんなに意味があるのか、どんなに大変なことなのかを実感しているところです。今後も釧路地域の精神科医療を提供し続けるために努力していきます。

病院駐車場から撮影